前傾姿勢と強い握力
「フューチャリスト」で「宣言」と来れば、どうしても20世紀初頭のアヴァンギャルド芸術運動である未来派を思い出してしまう。マリネッティらのイタリア未来派、それからマヤコフスキーらのロシア立体未来派(クボ・フトゥリズム)のことである。しかも未来派にせよダダにせよ、はたまたシュールレアリズムにせよ、奇しくもこれらアヴァンギャルド芸術ムーブメントにはマニフェスト(宣言)がつきものであった。
梅田望夫と茂木健一郎の対談「フューチャリスト宣言」は芸術論ではなく、無論、未来派とどのような関係も有していないのであるが、双方には時代を超えて何か通底する共通感覚があるような気がする。それは、それまでの社会や知や生活を批判し、超えていこうとする強い「前のめりの意志」のような疾走感である。イタリア未来派が自動車や飛行機の爆音を賞賛し、近代工業社会のスピード感に陶酔したように、「ウェブ世界を疾走せよ!」と帯に記されたアジテーションそのままに、梅田も茂木も「前のめり」のスピード感に駆動され、しかも発話を楽しんでいる。
そう、「こいつら、楽しんでいる」というのが、本書を読みまず浮かんだ感想である。これほどまでに、対談の当事者が楽しんでいることがわかる対談というものをあまり知らない。対談当事者が楽しんでいる、しかも「前のめりに楽しんでいる」ことがわかるから、読んでいる当方までがいつのまにか前傾姿勢になり、思わず強い握力でこの本を両手で押し開いて読んでしまうのだ。
つまりこの本を手っ取り早く評するならば、「前傾姿勢と強い握力を強いる本」となる。行儀良く、椅子に深く座って読むにはふさわしくない本だ。立ち、前傾姿勢で歩き回りながら読むのが本書の正しい読み方である。なぜなら本書に収録された発話が、言葉が、読者をじっと端座させないからである。
われわれベンチャー企業人にとって、ある意味ではこの本の中身は強い既視感を伴う場面が多いのではないだろうか。日頃、あーだ、こーだと思案していることを、「貴方の考えていることは、これですよね」と眼前にポンと突きつけられるような具合でもある。そのシンクロ感覚が梅田本の真骨頂だとも言えるかも知れない。
予想以上に楽しめた本。著者のご両人に感謝。マリネッティやマヤコフスキーがこの「宣言」を読んだらどう思っただろうか、など楽しい想像までさせてもらった。
「ぼくらの行進曲」 ウラジーミル・マヤコフスキー
小笠原豊樹訳暴動の足音を広場に鳴らせ!
誇らしい頭の山脈よ、そびえろ!
ぼくらは二度目の大洪水の氾濫で
全宇宙の街々を洗い直そう。
日々の牡牛は斑だ。
年の荷馬車はのろまだ。
ぼくらの神は駆け足だ。
ぼくらの心臓は太鼓だ。
(後略)
三宅 啓 INITIATIVE INC.