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「がん研有明病院」のクチコミ検索結果

「がん研有明病院」をTOBYO収録全がんサイトから検索(90件中 1~20件目を表示)

平成22年6月19日のこと ~かみさんが生きて傍にいてくれれば~
...くのが久しぶりになってしまった。・・・平成22年6月19日の土曜日。早朝、病室に入ると、かみさんは心電図のモニターを取り付けられていた。看護師に理由を聞くと、「いつ心停止するか分からない状況だから」との答えが返ってきた。俺は愕然とした。気が遠くなり、全身から血の気が引いた......能性もあるのではないか。かみさんのためには、癌研有明病院にいた方がいいのか、それとも、帯津三敬病院に転院した方がいいのか。俺は迷い、煩悶した。癌研有明病院は、既にかみさんを見捨てている。この病院のスタッフは、医師も看護師も、かみさんの死を待っているだけだ。一方、帯津...
いつか迎えに来てくれる日まで 肝がん 35~49才女性 ★★★
医療従事者という名の悪魔
...師の一言で地獄に落とされた。そのことは、以前「平成22年6月9日のこと ~医師がかみさんを地獄に落とした日~」という記事の中で書いた。癌研有明病院の医師は、俺と約束をしていた。かみさんには絶対に余命宣告をしないこと。かみさんの病状についての説明は、かみさんにはしないこと、......くなかったのだ。必ず治る、そして元の生活を取り戻すことができると信じていて欲しかったのだ。癌研有明病院の医師は、この約束を守ると言ってくれた。だが、平成22年6月9日、癌研有明病院の医師は、俺との約束を反故にした。俺が病室から離れている間、医師はかみさんを地獄に突き落とし...
いつか迎えに来てくれる日まで 肝がん 35~49才女性 ★★★
医療従事者という名の悪魔 (再掲)
...師の一言で地獄に落とされた。そのことは、以前「平成22年6月9日のこと ~医師がかみさんを地獄に落とした日~」という記事の中で書いた。癌研有明病院の医師は、俺と約束をしていた。かみさんには絶対に余命宣告をしないこと。かみさんの病状についての説明は、かみさんにはしないこと。......くなかったのだ。必ず治る、そして元の生活を取り戻すことができると信じていて欲しかったのだ。癌研有明病院の医師は、この約束を守ると言ってくれた。だが、平成22年6月9日、癌研有明病院の医師は、俺との約束を反故にした。俺が病室から離れている間、医師はかみさんを地獄に突き落とし...
いつか迎えに来てくれる日まで 肝がん 35~49才女性 ★★★
かみさんを地獄に落とした悪魔
...だ。俺は今でもO医師のことが赦せない。かみさんを地獄に突き落としたO医師のことは、絶対に赦せない。かみさんが亡くなった後、O医師は癌研有明病院を辞め、某国立大学医学部附属病院を経て、現在は自由診療のクリニック代表を務めているようだ。またO医師は、数冊の著書を発表して印税を......も医師の一言で地獄に落とされた。そのことは、「平成22年6月9日のこと ~医師がかみさんを地獄に落とした日~」という記事の中で書いた。癌研有明病院のO医師は、俺と約束をしていた。かみさんには絶対に余命を宣告をしないこと。かみさんの病状についての説明は、かみさんにはせず、俺に...
いつか迎えに来てくれる日まで 肝がん 35~49才女性 ★★★
平成22年5月15日のこと ~初めての涙~ : いつか迎えに来てくれる日まで
...を出す時間は無い。「癌研有明病院」からは、5月18日に確定診断が出ると言われている。転移性肝臓癌の原発癌がどこにあるのか、そして、どのような治療を行うのか、すべては5月18日に知らされる。仮に俺が伝えないと決断したとしても、この5月18日に、「癌研有明病院」の医師が、「あなたの......日、「四谷メディカルキューブ」という病院で、PET/CTの検査を行うことになっていた。東京メトロ有楽町線の「麹町」から歩いて5分ほど。「癌研有明病院」からの紹介状を持って行った。かみさんのお袋さんに見送られ、かみさんと俺の二人で病院に行った。歩いている間も、電車の中で並んで座...
いつか迎えに来てくれる日まで 肝がん 35~49才女性 ★★★
平成22年6月18日のこと ~生きようとする意志~
...希望を与えてあげること、「生きたい」というかみさんの想いを支えてあげること、そして祈ること…・・・平成22年6月18日の金曜日。早朝、癌研有明病院に到着。「昨日より元気な顔を見せてくれるといいな…」と祈りながら、俺は病室に向かう。病室に入ると、かみさんはいない。ベッドの上......のの、意識がはっきりしている時には普通に会話もできる。苦痛を感じていないかみさんにセデーションを施そうとするのは何故なのか。医師も看護師も、「どうせ死ぬんだから、治療や看護をするのが面倒くさい」、「薬で意識を無くしてしまえば、治療も看護もする必要がないから楽だ」なん...
いつか迎えに来てくれる日まで 肝がん 35~49才女性 ★★★
平成22年6月14日のこと ~「俺にとって容ちゃんはこの世で一番大事なんだよ」~ : いつか迎えに来てくれる日まで
...医師に呼ばれた。S医師、看護師長と面談した。面談の結果、癌研有明病院は、既にかみさんを「見捨てている」ことを痛感させられた。転院するしかない。転院先は「帯津三敬病院」という。この病院は標準治療だけでなく、代替治療も行っている。「癌研有明病院」で抗がん剤が効いていない......それ以外の代替治療も活用したい。転院することを決めた。6月19日に「帯津三敬病院」でセカンド・オピニオンを受ける。その日までは、「癌研有明病院」で我慢するしかない。・・・かみさんが目を覚ました。かみさんと、こんな会話をしたことを覚えている。「容ちゃん。俺にとって容ちゃん...
いつか迎えに来てくれる日まで 肝がん 35~49才女性 ★★★
平成22年6月1日のこと ~かみさんを泣かせてしまった~ : いつか迎えに来てくれる日まで
...でいる」との説明しかない。脚をよく揉んで、浮腫みを取るように言われた。「俺が揉んでやろうか」かみさんがベッドに横になる。俺は昨日、看護師から教わったように、かみさんの脚をゆっくり時間を掛けてマッサージした。揉みながら祈り続けた。「容子は治る。容子は治る。俺が絶対に治......つが基本とのことだ。「癌研有明病院」での抗がん剤治療が効くかどうかは分からない中で、また、標準治療しか認めてくれない「癌研有明病院」に入院している中で、俺がかみさんにしてあげられることは何だろう。本格的に代替治療を行うとすれば、「癌研有明病院」を退院した後でなければ...
いつか迎えに来てくれる日まで 肝がん 35~49才女性 ★★★
平成22年5月31日のこと ~状況の悪化と新たな戦略~ : いつか迎えに来てくれる日まで
...玉県川越市にある「帯津三敬病院」である。「癌研有明病院」で補完代替医療を行ってくれるなら、それに越したことはない。だが、過去のブログにも書いた通り、「癌研有明病院」は丸山ワクチンの治験さえ認めてくれなかった。「癌研有明病院」は標準治療以外、認めてくれない。標準治療で......重は、わずかではあるが、また増えていた。脚の浮腫みが目立つようになった。かみさんは「脚が浮腫んで痛いんだよね~」と言っていた。俺は看護師さんを呼び、脚の浮腫みを取るマッサージの仕方を教えてもらった。「俺がマッサージしてやる」と言うと、かみさんはベッドに横になった。か...
いつか迎えに来てくれる日まで 肝がん 35~49才女性 ★★★
平成22年6月22日のこと ~最期の希望・帯津三敬病院への転院~
...・・・帯津三敬病院への転院。かみさんは癌研有明病院看護師たちの手で、ストレッチャーに寝かされた。看護師たちが集まって、かみさんの世話をしてくれた。看護師の一人がかみさんに声を掛けてくれた。「治療、頑張ってね。」また、ある看護師は、夜勤明けで勤務時間が終了しているに......の看護師に「私がやりますから、もう帰っていいですよ」と言われても、その看護師は「私はやりたいの!だって私、アライさんのこと、大好きなんだもん!」と言って作業を続けてくれた。病棟のスタッフ総出でかみさんの世話をしてくれた。今振り返っても、かみさんは病院の医師や看護師に...
いつか迎えに来てくれる日まで 肝がん 35~49才女性 ★★★
平成22年6月21日のこと ~次に帰ってくるときは…~
...を考えながら、かみさんの寝顔を見つめ続ける。自然と涙が溢れてきた。かみさんの髪に触れ、俺は声を殺し、涙を流し続けた。・・・真夜中、看護師が病室に入ってきた。そして、床ずれ防止のために、かみさんの体位を変えてくれた。すると、かみさんはようやく目を覚ました。「何か食べる......頃、義母と義弟が見舞いに来てくれた。かみさんは眠っていた。義母と義弟に、かみさんの看病を任せ、俺はいったん自宅に戻った。明日は癌研有明病院から帯津三敬病院に転院する日だ。俺は自宅で転院の準備をした。着替えや洗面用具等をカバンに詰めた。転院の準備をしながら、誰もいない...
いつか迎えに来てくれる日まで 肝がん 35~49才女性 ★★★
いつだって、奇跡を信じてた。 : いつか迎えに来てくれる日まで
...帰り路には、いつも祈っていた。「容子は治る。容子は死なない。絶対に治る。俺が容子を守る」常にそう唱えながら、道を歩いた。・・・癌研有明病院では、「非常に厳しい状況だ」と何度も言われた。そのたびに、全身から血の気が引いた。それでも俺は、奇跡が起こることを信じた。俺が奇......癌が完治した後、二人であんなことをしよう、こんなことをしようと空想に耽った。癌が完治したかみさんを連れて、癌研有明病院に挨拶に行こう。かみさんの主治医や看護師たちが、病気を克服したかみさんを見て驚いている。そんな光景を空想しつつ、俺は奇跡を祈り続けた。だが、奇跡は起...
いつか迎えに来てくれる日まで 肝がん 35~49才女性 ★★★
余命宣告の選択肢
...これまで、このブログの「闘病記」の中で書いてきたが、俺はかみさんに余命を告げることはなかった。平成22年4月28日、癌研有明病院の医師から、「余命は年単位ではない」と言われたが、俺はそのことをかみさんに伝える気持ちにはなれなかった。かみさんに伝えなかったのには理由がある。......ていたことだ。だが、俺は迷い続けた。悩み続けた。余命を告げたほうがいいんだろうか、それとも告げないほうがいいんだろうか。癌研有明病院の医師や看護師長は、「余命を告げろ」と圧力を掛けてきた。また、俺の周囲には、「余命を告げてあげたほうがいい。そうすれば、遣り残したこと...
いつか迎えに来てくれる日まで 肝がん 35~49才女性 ★★★
余命宣告の選択肢 : いつか迎えに来てくれる日まで
...これまで、このブログの「闘病記」の中で書いてきたが、俺はかみさんに余命を告げることはなかった。平成22年4月28日、癌研有明病院の医師から、「余命は年単位ではない」と言われたが、俺はそのことをかみさんに伝える気持ちにはなれなかった。かみさんに伝えなかったのには理由がある。......ていたことだ。だが、俺は迷い続けた。悩み続けた。余命を告げたほうがいいんだろうか、それとも告げないほうがいいんだろうか。癌研有明病院の医師や看護師長は、「余命を告げろ」と圧力を掛けてきた。また、俺の周囲には、「余命を告げてあげたほうがいい。そうすれば、遣り残したこと...
いつか迎えに来てくれる日まで 肝がん 35~49才女性 ★★★
はは・・腫瘍マーカーが・・・ - ゆう・ひなママのスキルス性胃癌闘病日記 - 楽天ブログ(Blog)
...更新日 2011年11月30日 14時02分57秒 コメント(0) | コメントを書く 2011年11月16日 術後1年。生きてた~ 2011年11月15日。癌研有明病院に行ってきました。もちろん術後の定期受診。久しぶりに東京の主治医とも会えてちょっとした旅行気分。日帰りだけど・・・先生から去年の......ェック シェア 最終更新日 2011年11月16日 16時47分18秒 コメント(0) | コメントを書く 2011年11月10日 抗がん剤治療開始 有明病院退院の日。東京に住んでいる妹ファミリーが車で迎えに来てくれた。 京都へはすぐに帰るだけの体力がなさそうなのでそのまま妹の家に退院。 ...
ゆう・ひなママのスキルス性胃癌闘病日記 スキルス胃がん 35~49才女性 ★★★
すい臓がん。みんな負けるな 私でも切る!
...が手術しないなんて考えられず、本当に不思議でした。膵がんと確定してから、色々な方のブログ記事から「がん研有明病院」という病院の存在を知りました。その中に、がん研有明病院の膵臓がん診療の特徴というページがあり外科 あきらめない外科の項目があり、ここに一文を貼り付けてみ......さで心の中がブワーっと大きく熱くなりなりました。手術入院で看護師さんとの雑談中、「どういった経緯で転院したの?、前の病院はどこだったの?」と聞かれ、その答えと一緒に、私の数度のガン病歴や経緯を話すと、看護師さんは、「そうだなぁ~、もし私が○○さん(これ私、TS1_60...
すい臓がん。みんな負けるな 膵がん 35~49才女性 ★★★
FEC100 4回目
...の2週目があるもので。この3回で体重が減少してる事を、主治医、看護師、薬剤師とそれぞれの方々に相談してきました。もともと40kgあるかないかの私は4キロ痩せても辛いのです。小学生以来の体重です。主治医、看護師は抗がん剤の影響で、体重が減る人も、太る人も、下痢する人も便......なのですが、その時は下痢止めや整腸剤を飲んでねと言われました。薬剤師さんからは、栄養補助食品なるものを飲んでみたらと勧められ、癌研有明病院の先生方もおすすめしてる物なので、試しに飲んでみる事にしました。キャラメル味で、味覚障害のある方には吐き気を催す味かもしれません...
Que Sera, sera ~ なるようになる!relaの乳がん日記 乳がん 35~49才女性 ★★★
1年前の手術と乳癌講演会
...1年前の2015年11月19日、乳癌の手術でした。前日から入院して、検査や手術の準備であわただしく過ごし、夜は緊張して朝まで眠れずにいました。看護師さんと手術室まで行くとき、同時刻に手術する年輩の男性と一緒にエレベーターに乗り、まわりは年輩の方ばかりなんだなぁと、この歳で癌にな......越えてやっとここまで来た。これから先も長いけど頑張るしかない❗そして、、昨日は乳癌講演会に行って来ました。講演者の大野先生は、癌研有明病院の乳腺センター長ですが、元々九州癌センターの外科部長でした。地元での公演ということで、大野先生の元患者さん方が沢山聞きにきていま...
あんこの日記 乳がん 35~49才女性 ★★★
hiro-chanのsmile日記 -5ページ目
...くださった先生方のお話を、いつもご訪問くださる皆さまとshareします。 3回にわたってレポートします。 1回目は大野真司先生(がん研究会有明病院乳腺センター長)の『乳がん医療の未来を拓く』です。 最新の話題(2017年のトピックス) Deescalation & escalation 治療はescalation(エスカレー......い治療を。 一番少なくしていく治療として手術がある。 時代とともに変わる標準手術 1986年7月に初めて乳房温存手術が行われた(がん研有明病院) 30年前は乳房、大・小胸筋、腋窩リンパ節を切除していたが現在は大・小胸筋の切除はしない。また状況に応じて乳房や腋窩リンパ節郭...
hiro-chanのsmile日記 乳がん 35~49才女性 ★★★
(講演レポート)~乳がん医療の未来を拓く~ | hiro-chanのsmile日記
...くださった先生方のお話を、いつもご訪問くださる皆さまとshareします。 3回にわたってレポートします。 1回目は大野真司先生(がん研究会有明病院乳腺センター長)の『乳がん医療の未来を拓く』です。 最新の話題(2017年のトピックス) Deescalation & escalation 治療はescalation(エスカレー......い治療を。 一番少なくしていく治療として手術がある。 時代とともに変わる標準手術 1986年7月に初めて乳房温存手術が行われた(がん研有明病院) 30年前は乳房、大・小胸筋、腋窩リンパ節を切除していたが現在は大・小胸筋の切除はしない。また状況に応じて乳房や腋窩リンパ節郭...
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