暦は立秋を過ぎた。昼休みに、新宿御苑プロムナードの小川に涼を求め散歩する毎日だが、ギラギラした日差しを遮る木陰には、もう秋の気配がそこここに佇み、夏の終わりが始まった。いつまでも夏が永遠に続くことはないのだと、当たり前のことを言ってみる。
この暑い夏、仕事を続けながらいくつかの「終わり」を見届けた。その中のひとつは音楽評論家中村とうよう氏の死である。衝撃的な氏の自殺の報に接し、あれこれ言葉にならない想いが胸をよぎったが、しばらく経って考えをまとめてみると、あんなにも栄華をきわめた20世紀の音楽産業や音楽業界が、どうやらこれで本当に終わってしまったという感想に行き着いた。ちょうど一年前の今野雄二氏の自殺に続き、20世紀後半に活躍した有力な音楽評論家が相次いでこの世を去ったが、もちろんそれぞれに個人的理由はあろうが、ここ数年の世界的な音楽業界の崩壊と無関係ではないように思えたのだ。
今更言うまでもなく、ダウンロードというパッケージ抜きのフローチャネルの台頭にともない、商品とそれに付随する情報の流通はネット上へ移動し、従来の音楽業界や音楽ジャーナリズムは致命的な打撃を被った。音楽メジャー各社は赤字転落し、大規模ショップは閉店し、音楽雑誌は次々に廃刊した。中でも象徴的なのは、音楽評論家やライターなど「専門家」による音楽作品の序列づけが力を失い、ネットによってすべての作品が水平に置かれ、ブログやコミュニティを通して情報交換されることが一般化したことである。 続きを読む