一昨日のエントリ「医療情報システムの三つの顔」に対して、ganfighterさんが各システムの英語定義を翻訳してくださった。あらためて感謝しておきたい。またynbさんから、各システムの定義について素晴らしい考察をしていただいた。これも感謝しておきたい。なるほど、「データの網羅性」という基準を立てると各システムの差異は一層明確になるはずだ。その際、たしかにEMRは医療現場に一番近いシステムであるだけに、最も広範な「データの網羅性」を持つことになる。かたやPHRは、患者に最も近いシステムとして「患者自身による訴えの記述」までをカバーできる。そうなるとEHRが中途半端な立場に立たされそうだが、ynbさんが言われるように、そのデーターカバレッジは「パブリック」という観点から限定される可能性は高いだろう。だが、そうなるとEHRの経済的基盤はどうなるのだろうか。 続きを読む
月別アーカイブ: 2008年9月
TOBYOの闘病サイト収録数9000へ
暑い夏をのりきっていささか疲れ気味だが、今日になって「闘病者の新しい情報共有ツール=TOBYO」は、収録病名数534、収録闘病サイト数9000に達した。収録サイト数の病名別分布を眺めると、やはり全体としてロングテール状になっており、ヘッド部分の高さとテール部分の長さがますます伸張してきている。それに対して中央部のボディーだが、これはヘッドとテールの伸長に比べると増加分は少ない。ここが今後の課題となるだろう。
先日のエントリでも触れたように、TOBYOの当面の目標収録サイト数は1万で、これが達成された時点で「量から質へ」とサービス拡充の焦点を移動させていくことになる。だがもちろん、テール部分やボディ部分に位置する病名のサイト収録は、今後も継続していかなければならない。TOBYOというツールは、「一定の量的蓄積を、それに対応する質的なサービスへ変換する」というきわめてシンプルな考え方で作られている。だからわれわれは、「1万サイトという量的蓄積を、それに見合う質をもったサービスへ変換する」ということだけに当面は集中し、取り組むことになる。 続きを読む
医療情報システムの三つの顔(EMR、EHR、PHR)
最近、米国でNAHIT(National Alliance for Health Information Technology)が発表した「EMR、EHR、PHRの定義」がちょっとした話題になっている。なるほど考えてみると、これまでEMRとEHRの差異さえ実は明確ではないうちにPHRが出てきてしまったので、これら三者の関係があいまいなままに放置されているような現状がある。NAHITによるそれぞれの定義は下記のようになっている。
EMR:
The electronic record of health-related information on an individual that is created, gathered, managed, and consulted by licensed clinicians and staff from a single organization who are involved in the individual’s health and care.
EHR:
The aggregate electronic record of health-related information on an individual that is created and gathered cumulatively across more than one health care organization and is managed and consulted by licensed clinicians and staff involved in the individual’s health and care.
ePHR:
An electronic, cumulative record of health-related information on an individual,drawn from multiple sources, that is created, gathered, and managed by the individual. The integrity of the data in the ePHR and control of access to that data is the responsibility of the individual.
スペクタクル社会からの脱出
福田首相の突然の辞意表明に続く一連の「自民党総裁選」を眺めていると、今に始まったことではないが、政治そのものがスペクタクル(見世物)と化し、さらにマスコミを通して拡大増幅された「物語」が消費に供されるという、一種の「閉回路」が社会的に完成されている事態を改めて思い知らされる。今回はさすがにマスコミも三年前の郵政解散を反省し、「慎重な対処の仕方」を模索しているという。
だが、今さらどのように「慎重な対処の仕方」があるというのだろう。そこに興行価値があるかぎり、スペクタクルをみすみすマスコミが無視できるはずもないのである。「事実」をスペクタクル(見世物)に矮小化してしまえば、どのような事実もただ興行価値の観点からのみ判断されることになる。どのような「事実」も、それがわかりやすく人を驚かせたり感動させる「物語」として成立することが必要であり、そのことが「事実」のニュースバリューとさえみなされるようになる。 続きを読む
メモランダム3: 新しいユーザー価値の創造
これまでの日本のウェブ医療情報サービスというものを振り返ると、医療情報空間にばらばらに存在する個々の「固有名詞グループ」を集めてリスト化する、ということで終わっているケースが多いことに気づく。たとえば医療機関検索サービスは、医療機関という固有名詞グループのリストを作って検索しやすいよう便宜を図っているのだが、いったん作られた病院やクリニックのリストは、それ以上他のデータと結び付けられることはない。
このことは、病名、薬品など他の固有名詞グループについても同様である。かくして、病名事典や薬品事典の類が、互いに結び付けられることなく、ウェブ上のここかしこに店を開くことになる。そして、これら医療関連リストを複数集めて、WebMDに代表されるような医療ポータルが形成されることになる。医療関連のウェブサービスを乱暴に圧縮して概観してみると 続きを読む