肺がん
「母」のクチコミ検索結果
「母」をTOBYO収録肺がんサイトから検索(1798件中 1~20件目を表示)
- 母と娘の肺ガンをめぐる日常と冒険!!: 12月 2008
- ...た。母のいない初めての新年です。去年のお正月は今年もまた新年を迎えられて良かった、と母と話しました。色々あるけれど細々でもいいから生きていられればいい、と母は言っていました。その二週間後くらいに肝転移が分かりました。仕事の合間に聞いた母の留守......い、と母は言っていました。絶望的な気分の中仕事場に戻り、何事も無かったように仲間と会話をしている自分にびっくりしました。こういう状況に慣れていった部分もありましたが、自分自身が二分化されているような、変な感覚でした。 あれから母の病状がどん...
- 母と娘の肺ガンをめぐる日常と冒険!! 肺腺がん 65才~女性 ★★★
- 母と娘の肺ガンをめぐる日常と冒険!!: コメントをありがとうございました!!
- ...でろくに眠れない夜に思いだすのはやはり母の事です。癌という大きな病気と闘い前向きに頑張ってきた母。どんなに不安で辛い気持ちと戦い過ごす日があったか..こんな事で負けてられないんだと母を思い出し一日一日をすごしています。母の存在は大きいですね。とても追いつく......はないけど少しでも背中を追いかけて頑張っていきたいです。母がいなくなって私も人を見る目が少し変わったような気がします。上手く言えませんが友達に対しても家族に対しても今までとは少し違う感覚でいます。母がいなくなってたくさんの事を考えるようになって過去の自分を...
- 母と娘の肺ガンをめぐる日常と冒険!! 肺腺がん 65才~女性 ★★★
- 母と娘の肺ガンをめぐる日常と冒険!!: 8月
- ...sumire さんのコメント... ぽんさん、ご無沙汰いたしております。季節が来る毎にその折のお母様との思い出が重なってお辛いことと存じます。余命告知も新薬登場で大きく変わっていると聞きますが、先生も自信あってのことでは無さそうです。この1年でも 親しくさせて......頂いています。お薬の効果が安定しているようで本当に良かったです。いずれ、と言う意味では誰もが平等なのですね。。。母と同じ年のsumireさん、どうか病気がおとなしくしてくれているように強く祈っています!! 2009年8月31日 1:11 智海 さんのコメ...
- 母と娘の肺ガンをめぐる日常と冒険!! 肺腺がん 65才~女性 ★★★
- 母と娘の肺ガンをめぐる日常と冒険!!: 2010年になりました。
- ...匿名 さんのコメント... 私の母も同じ病気で、昨年旅立ちました。母を思い出す地雷は、いろんなところに埋まっています。ドラマ「相棒」、放送時にはとても毎週楽しみにしていて、ミッチーの相棒もいいわね・・・・って言ってたなあ・・&......いたので嬉しく思いました。家の母は先日誕生日を迎えました。2年前の誕生日に、呼吸器外科の先生から、肺がんでステージⅣであること、副腎にも転移があること、手術はできないことを言い渡されたのでした。だから、母の誕生日は正に告知記念日でもあるの...
- 母と娘の肺ガンをめぐる日常と冒険!! 肺腺がん 65才~女性 ★★★
- 母と娘の肺ガンをめぐる日常と冒険!!: 様々な治療
- ...me-me- さんのコメント... ぽんさん初めまして、何時も拝見させて頂いています。。私もぽんさんと同じ年代で母が肺腺癌を宣告されています。骨転移もあり今はイレッサ治療中です。最近脳転移のような症状が出始めていますがこちらの大学病院では宣告時からもう6ヶ月もM......コメント... >me-me-さん初めまして!コメントありがとうございます。お母様にイレッサの効果はいかがですか?なるべく長く服用出来て、かつ大きな効果があるといいですね。 お母様に脳転移のような症状とはどんな症状なのでしょうか。杞憂に終ったとしても...
- 母と娘の肺ガンをめぐる日常と冒険!! 肺腺がん 65才~女性 ★★★
- 母と娘の肺ガンをめぐる日常と冒険!!: 5月 2010
- ...したが。。。連休明けに父が入院しました。ずっと苦しんでいた腰椎の痛み(脚の痛み)を治す手術を受けるためです。母が亡くなってから独り暮らしを続けている父は、このまま痛みが引かずにいたら歩けなくなるかも知れない、と言う恐怖を抱えていたようで......ていました。現代医学において術後の疼痛がこれ程にひどい事ってあるのでしょうか。どうする事も出来ず、母に祈りました。どうかお父さんを守って、お母さん、お願い、と病室の窓の外に手を合わせました。そしてもう一度看護師さんに「痛み止めが効かない&...
- 母と娘の肺ガンをめぐる日常と冒険!! 肺腺がん 65才~女性 ★★★
- 母と娘の肺ガンをめぐる日常と冒険!!
- ...したが。。。連休明けに父が入院しました。ずっと苦しんでいた腰椎の痛み(脚の痛み)を治す手術を受けるためです。母が亡くなってから独り暮らしを続けている父は、このまま痛みが引かずにいたら歩けなくなるかも知れない、と言う恐怖を抱えていたようで......ていました。現代医学において術後の疼痛がこれ程にひどい事ってあるのでしょうか。どうする事も出来ず、母に祈りました。どうかお父さんを守って、お母さん、お願い、と病室の窓の外に手を合わせました。そしてもう一度看護師さんに「痛み止めが効かない&...
- 母と娘の肺ガンをめぐる日常と冒険!! 肺腺がん 65才~女性 ★★★
- 母と娘の肺ガンをめぐる日常と冒険!!: 5月 2010
- ...したが。。。連休明けに父が入院しました。ずっと苦しんでいた腰椎の痛み(脚の痛み)を治す手術を受けるためです。母が亡くなってから独り暮らしを続けている父は、このまま痛みが引かずにいたら歩けなくなるかも知れない、と言う恐怖を抱えていたようで......ていました。現代医学において術後の疼痛がこれ程にひどい事ってあるのでしょうか。どうする事も出来ず、母に祈りました。どうかお父さんを守って、お母さん、お願い、と病室の窓の外に手を合わせました。そしてもう一度看護師さんに「痛み止めが効かない&...
- 母と娘の肺ガンをめぐる日常と冒険!! 肺腺がん 65才~女性 ★★★
- 母と娘の肺ガンをめぐる日常と冒険!!: セカンドオピニオン
- ...あや さんのコメント... ぽんさん、こんにちは。セカンドオピニオンはほんとに大事ですね。私の母もセカンドオピニオンを受けて、今の病院に転院しました。最初にかかった病院は県でも有名で(ここは福岡なんですが)だからこそお願いしたんですが、患者を右......顔で「誰が治らないと言いました?私はお母さんを治そうと思ってますよ、これからお母さんを全力で支えて下さい」と言って下さいました。今でもこの言葉が励みになっています。ぽんさんも仰るとおり、患者である母の不安は計り知れません。でも同じように家族...
- 母と娘の肺ガンをめぐる日常と冒険!! 肺腺がん 65才~女性 ★★★
- 母と娘の肺ガンをめぐる日常と冒険!!
- ...したが。。。連休明けに父が入院しました。ずっと苦しんでいた腰椎の痛み(脚の痛み)を治す手術を受けるためです。母が亡くなってから独り暮らしを続けている父は、このまま痛みが引かずにいたら歩けなくなるかも知れない、と言う恐怖を抱えていたようで......ていました。現代医学において術後の疼痛がこれ程にひどい事ってあるのでしょうか。どうする事も出来ず、母に祈りました。どうかお父さんを守って、お母さん、お願い、と病室の窓の外に手を合わせました。そしてもう一度看護師さんに「痛み止めが効かない&...
- 母と娘の肺ガンをめぐる日常と冒険!! 肺腺がん 65才~女性 ★★★
- 母と娘の肺ガンをめぐる日常と冒険!!
- ...したが。。。連休明けに父が入院しました。ずっと苦しんでいた腰椎の痛み(脚の痛み)を治す手術を受けるためです。母が亡くなってから独り暮らしを続けている父は、このまま痛みが引かずにいたら歩けなくなるかも知れない、と言う恐怖を抱えていたようで......ていました。現代医学において術後の疼痛がこれ程にひどい事ってあるのでしょうか。どうする事も出来ず、母に祈りました。どうかお父さんを守って、お母さん、お願い、と病室の窓の外に手を合わせました。そしてもう一度看護師さんに「痛み止めが効かない&...
- 母と娘の肺ガンをめぐる日常と冒険!! 肺腺がん 65才~女性 ★★★
- これから : 母のラストラン
- ...朝が来た。母のいない朝が来た。息もせず穏やな顔で眠ってる母・・。その顔は少し微笑んでいるように見え安らかに旅立ってくれたのだと私たちを安心させてくれた。レース編みが好きだった母の手は白く冷たくもうその手に、かぎ針を持つことはない・・。すぐ上の姉である伯母は、最後に会......えなかった事をとても悔やみ、泣いていた。もう一人の伯母が言った。「夫と娘と孫に看取られてこんなに幸せな最後はなかったんだから、もう泣くことはないよ。」と・・・。母が癌になり、亡くなり、たくさんの事に気が付いた。大切な人との別れ・・看病したくても出来ない人の辛さ・・あ...
- 母のラストラン 肺がん 65才~女性 ★★★
- 2人の姉 : 母のラストラン
- ...私が見送ることになるの・・?。」すぐ上の伯母は、母が骨転移しているとわかった時、こう言った。伯母は、義理の妹を肺癌で亡くしていた。母は姉妹の末っ子だった。自分が見送らなければ・・そう思っていただろう。伯母たちは四国にいて、母だけが関西に嫁いだ。台風や地震がある度、離......生活が大変だったとき、伯母たちは助けてくれてた。伯母たちも離れて暮らしてる妹を、遠くから心配していたのがわかる。私と伯母は、母のことで、まめに連絡をとりあうようになった。母の退院を知らせると、2人の伯母は年末にも関わらず来てくれるという。母は会えることを、とても喜ん...
- 母のラストラン 肺がん 65才~女性 ★★★
- 皆様へ・・。 : 母のラストラン
- ...見逃されています。母の病気の始まり方や進行の過程が、何かお役に立っていることがあればうれしく思います。 メッセージをありがとうございました。 5. けいこ 2016年09月28日 12:21 15年前に 66歳で亡くなった母を思い出して、涙しながら 読ませていただきました。 私の母は、脳動脈瘤破裂......えていた入院中に 突然亡くなりました。 母も ずっと苦労して 私たち4人の兄弟姉妹を 育ててくれて、亡くなるまで幸せだったのか分からないまま 逝ってしまいました。 でも 今思う事は、母は 精一杯生きていたんだなぁということです。 私も そんな母の歳に 近づいて来ました。 4年前に 私も ...
- 母のラストラン 肺がん 65才~女性 ★★★
- 母と娘の肺ガンをめぐる日常と冒険!!: 12月になりました。
- ...ざいました。ぽんさんのお母様の日記の中の声はまるで私の母の声のようです。そして、私も“無条件に私を心から愛してくれる”存在はもういないのだと思う度に胸がつぶれるような思いです。それでも、子供を持たなかった私が今、母の死という経験でようやく一......経験を誰かの役にたてることが出来たら…そんな風に考えています。最後になりましたが、上手く言えないのですが…タイトルの“母と娘の肺ガンをめぐる日常と冒険!!”この言葉にもとても励まされました。ステキなタイトルありがとうございます。 2009...
- 母と娘の肺ガンをめぐる日常と冒険!! 肺腺がん 65才~女性 ★★★
- 退院まで : 母のラストラン
- ...家で母が寝ていた部屋は、昔の土壁で暗い。天井は板で一層部屋は暗く、昼間でも電気をつけていた。こんな部屋に母を帰すわけにはいかない。かといって、リフォームを頼む時間がない。ペンキと漆喰の材料を買い込んで、天井に白いペンキを壁には漆喰を、妹と交代で、主人も一緒に塗った。......になった。帰ってくる母に私達が出来ることは、それくらいしかなかった。退院は12月28日に決まった。年末年始を自宅で過ごしてまたお正月明けから入院。遺伝子検査で投与出来ることになった薬が効いてくれますように・・。みんなそう願っていた。歩けなくなっていた母は、それでもリハビリ...
- 母のラストラン 肺がん 65才~女性 ★★★
- 母のラストラン
- ...家で母が寝ていた部屋は、昔の土壁で暗い。天井は板で一層部屋は暗く、昼間でも電気をつけていた。こんな部屋に母を帰すわけにはいかない。かといって、リフォームを頼む時間がない。ペンキと漆喰の材料を買い込んで、天井に白いペンキを壁には漆喰を、妹と交代で、主人も一緒に塗った。......になった。帰ってくる母に私達が出来ることは、それくらいしかなかった。退院は12月28日に決まった。年末年始を自宅で過ごしてまたお正月明けから入院。遺伝子検査で投与出来ることになった薬が効いてくれますように・・。みんなそう願っていた。歩けなくなっていた母は、それでもリハビリ...
- 母のラストラン 肺がん 65才~女性 ★★★
- 母と娘の肺ガンをめぐる日常と冒険!!: 入院2
- ...匿名 さんのコメント... 「生きていて欲しい、でも母には楽になって欲しい」このジレンマは私も母が肺腺癌Ⅳ期、このまま何もしなければ余命6か月との宣告を受けてからずっと感じています。私の母は宣告を受けた時から、「辛い思いをするくらいなら、早く......いましたが、本人にとってはかゆみで寝れない日々が続くのは相当辛かったのでしょう、母の人生なのだからと思って母の意見を尊重することにしました。(言ってもどうせ聞かない母なので)次の抗がん剤は副作用はほとんどなかったものの効果もなく、症状は悪化してし...
- 母と娘の肺ガンをめぐる日常と冒険!! 肺腺がん 65才~女性 ★★★
- 記事一覧 | 父の小細胞肺がん 闘病記~それから~ - 楽天ブログ
- ...2017.01.22 2017.1.22 頭に稲妻 (4) カテゴリ:カテゴリ未分類 今日は私のお誕生日。 美味しいマンゴーケーキをたべて、 義母から不出来な嫁にシンビジウム。 ありがたい。本当にありがたい。 そして、愛するカッツとパシャリ。 今日は、父の仏壇に、お父さんありがとう。 生まれ......来事 母とずーっと同じパート先で、長くパート仲間だった かよこさん。 8月に退職するまで何十年も一緒に働いていた。 私が小さい時から知っているかよこさん。 いつも私が仕事中の母に会いにいくと、母を呼んでくれた。 大人になってから、顔を合わせると、ほんとに、◯◯(母)の子?...
- 父の小細胞肺がん 闘病記~それから~ 小細胞肺癌 65才~男性 ★★★
- 青い空の日に : 母のラストラン
- ...たのは、母の葬儀の日だった。多くの方が犠牲になられ、避難先での不自由な生活と、必死の救助活動・・。熊本の皆様には、心を運ぶことが出来ずに、本当に申し訳ございません・・。4月16日は、ほんとうに雲一つない、まるで秋の空を思わせるような、いい天気だった。昨日の母が気にな......って、朝7時過ぎに父に電話した。「お母さん、大丈夫?」「大丈夫やで、寝とうで。」よかった、昨日のはたまたまだったのかな。子供をお稽古の練習に送り届け、家に帰った頃父から電話があった。「お母さんな、痰がからんどんか、ゴロゴロ鳴ってるんや。今、訪問看護師さん呼んだけど、...
- 母のラストラン 肺がん 65才~女性 ★★★