肺がん
「母」のクチコミ検索結果
「母」をTOBYO収録肺がんサイトから検索(4082件中 1~20件目を表示)
- 最近の父。
- ...入ると寒いと言って切ってしまう。 お陰で、母はイライラ。夜も、母は我慢をして、汗だらだらで 寝ている。「寒いなら長袖長ズボン、靴下履いて!!」 と、言われてるのに履くのを忘れてしまう。直ぐに、何処かへ 脱ぎ捨ててしまう。服は、朝母が用意をしておく。 今までは、勝手に自分で......。お父様体温調節がうまくいかないのでしょうか、前から、寒がりなのですか?お母さまの、イライラお察しします。うちも、周期的に母のストレスが、でることがあります、あいだにいる、私も、父の気持ち、母の気持ち、それぞれの気持ちがわかりますので、複雑、、、だめながら、うまく、...
- 2012年6月父の小細胞肺がん闘病記『絶対治してみせる!!』 小細胞肺癌 50~64才男性 ★★★
- 通夜
- ...母がわたしの家にいる最後の夜。 寝静まった丑三つ時。 わたしは眠れず 必死に母の声を思い出していた。 耳に焼き付いている呻く声ではなく いつもように呼ぶ声。 どうしても思い出せなくて 今まで残してきた動画を必死に漁った。 ほんの少し撮られていた母の声を再生しては 母の横に座り......に行った。 時間が経つほどに辛くなっていく。 母の枕元は大好きなビールやぬいぐるみ ムスメーズが貸してあげると言って 置いていったおもちゃたちで溢れかえり 賑やかなのに、 母は笑ってくれない。 呼びかけるたびに 哀しみがこみ上げるのがわかっていて やめられない。 どうすれば諦...
- ママ、癌と一緒に生きていこうよ。 肺腺がん 50~64才女性 ★★★
- 嬉し、憂わし、入学式。
- ...大事な娘の小学生になる儀式。 ムスメーズ、1女の大事な入学式。 今、記憶に残るのは 娘への感慨深さ。 そして 母の手の冷たさ。 ・ ・ ・ ・ 未明から降り出した雨が 朝になるとどんどん強くなって 入学式へと足を運び始める時間には 家の中にも響いてくるザァァァという 雨足の強さを思わ......式を迎えるすべての人が思うことを 準備しながら思い続けていた。 母が来たとき 外に初めて出て「寒っ!!」と驚いた。 4月の気温じゃない。 母がいつにもまして青白い顔をしていて 入学式に期待と楽しみを抱いて 上気している娘の頬の色と比べること自体 ナンセンスだったが あまりに対照...
- ママ、癌と一緒に生きていこうよ。 肺腺がん 50~64才女性 ★★★
- 退院と大喧嘩
- ...母から怒りのラインが来た。 「介護申請ってなに?」 「リハビリしてるやんか」 「勝手に〇〇(叔父)と決めんといて」 「明日、退院決まり。」 プライドがエベレストより高い母。 ヘルパーさんとか 車椅子とか スムーズに用意できて 生活を助けられたらと 母に言わずに叔父と少し話をして......、この叔父。 なかなか母と正反対で 思い込みが激しい。 勝手に介護申請をするものだと解釈して 母に 「介護申請するから主治医のサインもいるし 今から病院行きます。」 なんて、連絡してしまった。 烈火のごとく怒る母。 そらそうだ・・・。 何せ着火剤のような母は 自分の意に沿わな...
- ママ、癌と一緒に生きていこうよ。 肺腺がん 50~64才女性 ★★★
- 6月15日 土曜日 母とわたしと叔父
- ...。 25歳でわたしを生んだ母 叔父はその時22歳 大学生だった叔父は “おじさん”と呼ばれたくなかったし 母も祖母も名前で呼んでいたので わたしも自然に呼び捨てになった。 流石に呼び捨てはいかんだろうと 君づけで呼ぶようになった。 37年間の叔父との関係。。 母が急変であることを知ら......母の言動をみると なんとかわたしのわかりやすい嘘でも 気力で頑張ろうとしているのに・・・。 叔父まで駆けつけたら 「あぁ、そういうことなんだ・・・」 一気に気力が失われてしまうかもしれない。 それを恐れて もうちょっと待って 我儘を通した。 叔父が結婚してから 仲の良かった母...
- ママ、癌と一緒に生きていこうよ。 肺腺がん 50~64才女性 ★★★
- 6月15日 土曜日 母と癌とわたし
- ...ると母はわたしを待っていた。「なんやのん」さっきより鮮明に話せる母はいぶかしげにわたしを見る。 なにが?母にティッシュを渡しながら聞く。「危ない・・・のん?」「まさか・・あんた覚悟してるんやないやろね」看護師さんと廊下に出たことなど今までなかったものだから母は相当......・・・ちゃうん」こんな時でもわたしを思う母。ぐぅっ と喉が一気に詰まる。 そんな状態やったらな、 こんなガム食べてえらそうに言わへんって。車を降りるときに泣かないようにとガムを口に含んだ選択を自分で賞賛しつつ口を指さして母に伝える。「それさえも、演出でなんともな...
- ママ、癌と一緒に生きていこうよ。 肺腺がん 50~64才女性 ★★★
- いのちの歌
- ...ているのはシーコロリンの息子です。令和3年2月9日5時47分。母が息を引き取りました。最後の最後まで弱音を吐かず、負の感情を出すことなく、静かに耐えながら59歳10か月の一生を終え素晴らしい背中を見せ続けてくれた母でした。母がこのブログを始めた時、自らが病と向き合う記録として、ま......たこの記録が誰かの役に立つかもしれないという思いから書き続けていたようです。母にはいつもポジティブに向き合っていた僕としてはこういった生の思いと向き合うことに恐れ、読めませんでした。苦しんでいる様子を文字で見ると支える立場の僕が潰れてしまうかもしれないと怖がったため...
- 肺がん闘病日記 肺腺がん 50~64才女性 ★★★
- 癌のおかげと、癌のせい。
- ...母と行くはずだった ライブのチケットを売ることにした。 母と二人で旅行なんてしたことなくて いい機会になるかと思ったけれど 今、無理させられない。 母と2人で旅行なんて 大学受験で金沢へ行ったことしかない。 そもそも受験だから 旅行でもなかったww 母とわたしは ずっと不仲だっ...... 全て言葉通り叩き込まれた。 母が働き始めてから 女でありキャリアを重んじた母が 側にいない時間をひたすら祖母に辛くあたられ それを母のせいにして 溝は深くなった。 阪神大震災の影響で 仕事を失った頃からは最悪だった。 不安と焦燥感で荒れまくる母の いろんな矛先はわたしだった ...
- ママ、癌と一緒に生きていこうよ。 肺腺がん 50~64才女性 ★★★
- お願い、やめて…!
- ...金曜から母の部屋に入り浸っていた。 友達が代わるがわる そばにいてくれて 片付けという心の整理を進めていた。 母のことがきっかけで 今まで接点がなかった 幼馴染や高校の友達と、 Y子や最近ずっと支えてくれてる友達が会し 母の思い出を語る。 あぁ、ママがみんなを引き合わせてくれ......が 初対面にもかかわらず 母という共通点で仲良く作業してくれてる光景を見ながら しみじみと感じていた 日曜日。 いよいよ、いらない家具は処分しなければ それでも思いきれない中 使えるなら貰ってくれると 話を聞いてくれる友達のご主人が申し出てくれた。 母が大事にしていたダイニン...
- ママ、癌と一緒に生きていこうよ。 肺腺がん 50~64才女性 ★★★
- 母の鎖骨
- ...大型連休ももう残り二日。母を何日か家に呼んで泊まってもらおうと思っていた。そこに娘の体調不良。わたしの喘息の悪化。母と夫の不仲wwいろんな不穏分子が漂っていた中今日母から正式に「やめとく」と断りが入った。母はいま抵抗力がゼロで少しのウィルスの可能性も排除しなければな......るくらいそこまで神経をとがらせている母。母が家に来ない判断に至るのは想像するに難しくはない。今日はマスクをして完全防御で母宅へお好み焼きを届けた。母は珍しく洗い物をしていた。その姿は数か月前のそれと本当に別人。グラマラスだった母のすべてが削げ落ちてTシャツから除く鎖...
- ママ、癌と一緒に生きていこうよ。 肺腺がん 50~64才女性 ★★★
- 6月14日 金曜日
- ...木曜日はさわやかな晴れ模様で 母から預かった大量の洗濯物が 太陽の香り満タンに吸い込んで 気持ちよく乾いた。 金曜日は 涼しげな風があったけれど 「アイス食べたい」なんて母が呟いていたから 家から片道50分かかるお店の 前回入院した時喜んでいたアイス最中を 買いに行くかどうか。 ...... この迷っている時間よ!と 自分で突っ込みをいれながら 母と病院でいる時間が長いほうをとった。 毎年夏には必ず一回 「チョコモナカジャーンボ!」と歌いながら 母と分け合って食べていたから それを手土産に病室を訪れた。 母はまた座っていたけれど もう病院ついた わたしのラインに「...
- ママ、癌と一緒に生きていこうよ。 肺腺がん 50~64才女性 ★★★
- 11回目の月命日
- ...昨日は、母の11回目の月命日でした。木曜に、行ってきますと更新してからそのままですみません!2泊3日で、土曜に無事帰ってきました。道中や荷造りの心配をして下さり、ありがとうございました。運転大好きなんですが、さすがに一人で往復約700kmは疲れて、土日はグッタリしていました笑......ってお菓子を貰いに行ったんですよね。この奥が実家です。松山市中心地から車で15分位なんですが、少し離れるとすごい田舎です笑。アルバムや母の大切にしていた物など、持って帰りたいものはほぼ決めていたんですが、私が子供の頃に工作してプレゼントしたペン立て、私が生まれた時のへ...
- 末期がんと闘った母との毎日 肺がん 50~64才女性 ★★★
- 不機嫌な母たち
- ...義父母ももちろんくる わたしの母もくる このメンバーはちょっとした悶着が起きるので わたしは朝から不機嫌 義母は悪い人では決してない ただ自分は良い人間であり良い行いをしていると確信している お婿さんをとって自分の生家を出たことのないお嬢様 かたや 自分第一の祖母に振......たしの母 全て想像して相手の立場になって考えるべしとする開拓者 まぁ、分かり合える訳もなく わたしの母の入院時でも母に挨拶や体調を伺う素振りもみせない 自由な義母と 想像する力がないのか! と怒り心頭な母との関係は 母が我慢することで平穏に過ごせている そこに母の今回...
- ママ、癌と一緒に生きていこうよ。 肺腺がん 50~64才女性 ★★★
- 9/5 気持ちは上がったり下がったり
- ...いました。ブログを更新する気が起こらずスミマセン。母が亡くなってお別れ会をして・・次の日からは日常。チビがいるおかげで家事を放ったらかしにするわけにもいかず食事を作らないわけにもいかず。ありがたい事です。暫くはまた母が入院しているような感覚で、でもリビングには祭壇が......て遺影があって遺骨があって・・不思議な気分でした。ただ、母の部屋があまりにも今までのままでちょっと辛いです。本当に突然いなくなったかのように何もかもがそのままで。6月末くらいの部屋で時間が止まっているんです。母の匂いもそのまま部屋に残っています。6月末から胸水がたまり...
- 母の肺がん闘病記 肺がん 50~64才女性 ★★★
- 8/14 命の灯火
- ...こんばんは早朝から起きている母。その前に3時ごろに起きてきて寝られないとリビングに座っていたので追加の眠剤を出したりしたので今日は完全に寝不足でしたあまりにも母の急変っぷりが凄い勢いなので、無理やり私のスケジュールを調整して病院に行って来ました。そんなに待つ事はなく、......そうじゃなかったら良かったのにという話。先週の月曜日に叔母が付き添いで行ってくれた時に言われた脳の水の癌細胞中に浮いていると言うのはやはり癌性髄膜炎の事でした。TS-1の効果は見られずCEAは上がり続けていました。もう母の命の灯火は残りわずかな燃料を必死に使って燃やしている状...
- 母の肺がん闘病記 肺がん 50~64才女性 ★★★
- そして号泣と怒り。
- ...なったこともあり 金曜の夜からムスメーズを義父母宅へ お泊りさせてもらい わたしはひとりの時間をもらった。 いろいろ考えなければならないけれど ひどく疲れていて 今回ばかりはムスメーズを引き受けてくれたことに 感謝した。 土曜。 母のところへ行ったけれど まだ食べることはできず ......ていなかった。 入院嫌いの母には悪いけれど 何かあった時のことを思うと 入院は正直有難い。 母と話している間 明日は母の日だなぁとか お祝い何がいいかなぁとか 考えていると 来年は?祝えるのかな? そんなことが頭をよぎって 眩暈と喘息が出てしまった。 母の前で!! 自分にイラつい...
- ママ、癌と一緒に生きていこうよ。 肺腺がん 50~64才女性 ★★★
- 8/14 命の灯火
- ...こんばんは早朝から起きている母。その前に3時ごろに起きてきて寝られないとリビングに座っていたので追加の眠剤を出したりしたので今日は完全に寝不足でしたあまりにも母の急変っぷりが凄い勢いなので、無理やり私のスケジュールを調整して病院に行って来ました。そんなに待つ事はなく、......そうじゃなかったら良かったのにという話。先週の月曜日に叔母が付き添いで行ってくれた時に言われた脳の水の癌細胞中に浮いていると言うのはやはり癌性髄膜炎の事でした。TS-1の効果は見られずCEAは上がり続けていました。もう母の命の灯火は残りわずかな燃料を必死に使って燃やしている状...
- 母の肺がん闘病記 肺がん 50~64才女性 ★★★
- 苦しい。
- ...昨日の寒さが母に悪さをした。 寒すぎる体育館で行われた昨日の入学式。 氷の温度の手だった母。 長時間拘束なんて出来ず 無断で寝室や引き出しをあける義両親 それでも母が大事。 やむを得ず家の鍵を義母に渡し 母と一緒に入学式が終わり次第 我が家へ帰ってもらうことにした。 今日、 ......お届け物があったので母にライン。 母は最悪の状態だった。 「思いっきり体調壊した感じ。」 「帰ってからずーっと寝てた。なんも食べられず」 返信内容に心が震える。 ちょうど母の好物を買ったタイミングだったから “虫の知らせか…” 苦笑いしながら車に乗り込む。 同時に憤りが身体...
- ママ、癌と一緒に生きていこうよ。 肺腺がん 50~64才女性 ★★★
- 家に帰ろう。
- ...荷物がすっかりまとまってあとは葬儀社からの迎えを待つのみ。 ママ、家に帰ろう。 ずっと帰りたかったよな。母の冷たい手をさすった。母と一緒にいたいけれどジッとはしてられなかった。眩暈のせいで派手にこけてよろけてばかりなのに止まっていられない。 荷物、、、車に積ん......叔父から葬儀社の到着を告げられ もう、、効率よく動けてないやん、わたし!自己反省しながら慌てて踵を返す。地下の霊安室に移動していた母は主治医から病院からの別れを言われ横たわっている。生きていたらなんやのん、こんなわざとらしい儀式!なんて言いそうだなぁと思いながら眺...
- ママ、癌と一緒に生きていこうよ。 肺腺がん 50~64才女性 ★★★
- 母の足
- ...起きていられたら見たいなぁ・・・。 今日は母の家に。 ピアノのレッスンもあったので昼から転がりこんだ。 母はまだマスク姿で それでもおにぎりとお味噌汁を用意してくれていた。 水曜の点滴と診察の時に 整形外科でも診てもらっていた母。 以前から口がもつれるほどわたしが言って......察内容はもうずっと、軽いもんやで」 母はしれーっと言った。 「腫瘍マーカー値は全然知らんねん、というか調べてない」 へ?ええのんそれ。 すっとんきょうな声が出たわたしに 「なんせ、数値見たらそれで沈んだりするから、わたし」 笑いながら母は言う。 「もう見た感じ元気なら、は...
- ママ、癌と一緒に生きていこうよ。 肺腺がん 50~64才女性 ★★★